だけどこれ、別に不謹慎というような内容ではないよね...。
(※"wrong kind of bomb" とかいうのがなんのことか分からなかったけど、ここに解説が載ってた。こういったコンテクストを理解して文句言ってる人ってどれくらいいるんだろ。)

このコーナーの趣旨は「彼は広島と長崎両方で被爆した。しかし生き残って93歳まで生きた。彼は世界一アンラッキーな男なのか?それとも世界一ラッキーな男なのか? (このコップは半分空っぽなのか、それとも半分満たされているのか、という話に似ている)」というものだ。

笑いが起きているのは主に「広島では被爆の翌日にはもう電車が走ってたんだ!これが英国の鉄道なら...」というような相当脱線したあたりで、それはTV番組というメディアの特性と、どんな話でも段落毎にいちいちオチをつけないと気が済まない英米人ならではの話し方のスタイルからくる宿命だろう。
その場に居ない人の話題で盛り上がっているにしては十分敬意が払われていると感じるし、被爆体験を軽視しているとか侮辱しているとかいったふうにはとても感じられない。


有名人が軽い気持で「いい天気ですね」と言うと「雨が降らなくて困っている農業の人の身にもなれ」と怒られ、「子供はまだ欲しくありません」とでも言おうものなら「不妊症の人の気持を考えろ」と苦情が殺到する、という話がある。

全ての人のあらゆる体験の可能性に配慮していたら、表現活動なんて成立しない。人を全く傷つけない表現はあり得ないのだ。

「乗るはずだった飛行機が墜落して、結果命拾いしたラッキーな人の話」をTVなどで見たことはないだろうか? でもそれは同時に、そのラッキーな人以外の乗客乗員が命を落とした話でもある。
それをラッキーな話としてうけとめ、安心して楽しむことができるのは、視聴者であるあなたがそのラッキーな登場人物の方にだけ感情移入し、それ以外の人を「他人」として意識から遠ざけることができるからだ。

ほとんどの人にとってほとんどの出来事は「しょせん他人事」であって、だからこそ日常の表現やコミュニケーションが自由にできるのだ。「所詮他人事」であることの残酷性はある程度許容しなければ、表現活動なんて成り立たない。

遠く離れた場所で交わされた井戸端会議の内容が、検索エンジンで本人に補足されちゃうようなインターネット時代においては、特にそうだ。

重要なのは不謹慎な言説をやめさせることではない。(あなたから見て)不謹慎な言説が存在することを知ることだ


日本人は原爆体験を神聖視しすぎだと思う。(だいたい、文句つけてる人の大半は被爆経験者ですらないだろう)。そこには、ドイツ人がナチスを絶対悪扱いするあまりそれについて議論することさえも法律違反にしてしまったのと似た行き過ぎ感がある。
当事者として悲劇を語り継ぐという意義は確かにあると思うけれど、それが思考停止に至ってしまうと、いずれ、本来語り継がれるべき真意すら失われてしまうだろう。

日本人がいつまでたっても「原爆=悲惨=軽々しく話題に上げるのは不謹慎」という思考停止から先へ進めないでいるのは、端から見れば、折に触れて子供の頃の不幸な体験談ばかり持ち出す面倒臭い人と同じに見えるかもしれない。

不幸な歴史はどんな国にも多かれ少なかれあるものだ。ましてや、欧米の歴史観でいえば、日本の敗戦も被爆も自らが招いた結果にほかならない。だからその点で、安易に、(完全な被害者である)ユダヤ人がホロコーストネタに噛み付くのと同等に扱われることを期待してはいけない。
(たぶん当時の日本は、ちょうど我々がいまの北朝鮮を見るのと同じように見られていたのだろうと考えるのが感覚的に分かりやすい気がする。)

核兵器が使用されなければ、長引く戦争やその後の上陸作戦により、広島と長崎の犠牲者の何倍もの民間人が  (原爆よりは比較的人道的であるところの) 通常兵器によって死に追いやられていたであろうというのは十分議論に値する問題だ。現に欧米ではそれがごく一般的な「広島・長崎」の位置付けなのだ。(今回のBBCの問題を取り上げた英国のニュースサイトにもそういうまとめがふつうについている)。

The blasts hastened Japan’s surrender and the end of the war – averting the need for a land campaign that would have cost tens of thousands of Allied and Japanese lives.

だけど国内では、いまだにそんな議論さえ許さないようなアンタッチャブルな空気がある。
確かに核兵器は非人道的で許容しがたい発明品かもしれない。ただ、そのことを、それが使われなかったら使われなかったでより多くの人々が不幸になっていただろうといった議論を棚上げする言い訳に使うべきではない。それらはそれぞれ別々に議論されるべき問題だ。


話を戻そう。そもそも、この人を「世界一アンラッキーな男」と呼ぶことになんの問題があるのだろう。家族自身もそのアンラッキーさに関しては冗談を言い合っていたという記事もあるし。

"In fact, we have made jokes within our family saying Dad had bad luck"

例えばもし、大戦が長引いて五カ所十カ所に原爆が落とされてたとして、そのすべての場所に居あわせた人がいたとしたら、もうさすがに笑い話にしかしようがないんじゃないのか。それでもそのアンラッキーな人の身の上話をクスリともせず神妙に聞いていられるだろうか? 
(あるいは、クスリともせず神妙な面持ちで聞いているのが唯一の正しい姿勢だろうか?)

8月6日に広島、3日後に長崎、さらに小倉、間をおいて横浜、最後に9月5日に東京に原爆が落とされるに至ってようやく日本は無条件降伏を受け入れることになる。遅すぎる決断であった。

1945年当時、山口青年は軍部と繋がりのあるとある会社のやり手セールスマンで、8月6日に広島に出張に来ていて被爆した。たまたま建物の陰にいて軽度のやけどで済んだ彼は、翌日治療のため実家のある長崎に戻るのだが、そこで二発目の原爆に見舞われる。爆風で倒壊した家を見限って小倉の親戚の家に身を寄せていたところ、一週間後に小倉に三発目の原爆が落ちる。それでも奇跡的に命には別状なく、いよいよ人手不足に悩む会社からの要請で、9月1日に本社のある横浜に出向くことになる。だが、彼が朝一で横浜駅のプラットフォームに降り立った瞬間、四発目の原爆が上空で炸裂したのだった。

老人の思い出話は続く。

「で、しばらく病院のベッドで寝かされてたんだけどよ、ある日、まあ9月の4日のことだな、上司がわざわざ訪ねて来てこう言うんだよ。ほんっと申し訳ないのだけれど、お前まだ歩きまわる体力ぐらいはあるだろ、どうしても人と会ってほしいんだと」

老人は、話し慣れた様子でそこでひと呼吸間をおく。聴衆はみな、次に出る言葉をおおよそ予期しながら身を乗り出している。

「明日東京へ行ってくれ、てさ。」

聴衆の期待と緊張感が一気に解きほぐれた音がした。会場が穏やかな笑いに包まれる。

世界一アンラッキーな老人の講演だ。あなたも一度聞きにいってみるといい。