所謂「九電やらせメール事件」に関する報道やネット上の意見の流れに、ひっかかる部分があったので書いておきたい。

九州電力が、原発再開に関する説明番組へ組織ぐるみで意見メールを送りつけていたという件についてだ。九電幹部が、一般市民を装って賛成意見を送るよう、依頼を社内に一斉送信していたことが「やらせ」と表現されているのだけど、やらせってそういう定義でいいんだっけ?

確かに、第三者を装って自分を擁護しようとするのは、匿名掲示板で自分の擁護をしたりWikipediaの自分の項目を編集する行為に似て、かっこ悪いのは確かだ。

しかし、九電社員だって市民には違いないし、電気・原発事情に詳しい人が電力会社に勤めている可能性が高いのだから、九電社員が意見メールを送ることを禁止するのもまた公平ではないように思える。

たとえば、ネットのコミュニティで「ここで意見募集してるからみんなでメールおくろうぜ」って盛り上がちゃって、同じような人達からメールが殺到する状況と何が違うのか。ああいうのも「やらせ」というのだろうか?


この事件において、問題とされるのは以下の3点だと思う。
  1. 会社の利害に関する意見メールを送るよう,幹部が社員に依頼した。
  2. その際、社員としてではなく一般市民として送るように依頼した。
  3. 結果、説明番組へ送られたメールの賛成意見が反対意見を大きく上回った。
1.に関しては、もし業務命令として「一人一通必ず送れ」などの指示があったとしたら、これは社員が一般市民として自由に意見を述べる権利を不当に縛ることになり、企業コンプライアンス違反といえる。しかし報道を見る限り、
やらせの要請を受けたのは3000人近くに上り、計141人が賛成投稿した。
(
「やらせメール」認めたが…九電元副社長“逆ギレ” ― スポニチ Sponichi Annex 社会
などとあるように、依頼に応じた社員が20人に一人という割合からして業務命令ではなかったっぽい。

2.については、むしろ業務命令ではないのだから当たり前のことだと言える。

「こういうところで意見募集してるらしいよ!賛成意見がもしあれば送ってね!九電社員としてではなく、あくまでも業務の範囲外で一般市民としてね。いや、送らなくても別にいいけど」というスタンスと上記 1,  2 には、一応の一貫性がある。

そもそも1, 2については、問題があったとしても企業コンプライアンス上の問題なのであって、「やらせ」と表現するのは違うだろう。

では3についてはどうだろうか。
もし、九電自身が主催した番組・調査において、内部の者からのメールを「一般市民の意見」として採用したら、そしてその結果「民意」の印象を捻じ曲げたとしたら、それは明確に「やらせ」と言える。
しかしこれも報道を見る限り、主催者は九電ではなく経済産業省で、九電は意見の採用や番組作りに対してなんの力も持っていなかったようだ。

九州電力玄海原発(玄海町)2、3号機の運転再開問題で、国が県民向けに開く説明会の概要が23日発表された。
(中略)
 
主催の経済産業省によると、原子力安全・保安院と資源エネルギー庁の担当者が、県民の代表7人程度と質疑を交わす模様を県内8ケーブルテレビとインターネットなどで生中継する。
(中略)
  視聴者からの意見や質問はメールやファクスで25日午前10時から受け付ける。
(中略)
 
県民代表は佐賀市内の広告代理店が選定中で「いろんな意見が幅広く聞けるよう、バランスの取れた人選を」と依頼しているという。

 (玄海原発:再開問題 26日説明会、ケーブルTVの「番組」で県民代表と質疑 /佐賀 - 毎日jp )


「やらせ」とは、「自らが特権を持つ領域 (他者の監視やコントロールが及ばない領域) で、情報の歪曲・隠蔽を行うこと」と定義できるだろう。

典型的な例は、テレビの街頭インタビューで(通りがかりの一般人のふりをした) 仕込みの人が答える、というものだ。これが本当に「たまたま通りがかった一般の人」なのかどうかを検証する手段が視聴者側になく、基本、番組制作者側の信義に頼らざるを得ない状況なのに、制作者側がその信頼を悪用している点が問題なのだ。

上に書いたように、一人の個人が「社員としての身分」と「一般市民としての身分」を使い分ける事は基本的には許されるべきだ。ただし例外となるのがどちらかの身分が「特権」を持っている場合だ。その場合、その特権を仕事とプライベートで使い分ける (あるいは使い分けていることを第三者に証明する) のが難しいため、恣意的な身分の使い分けはモラルとして禁止される。これが「やらせ」が禁じられる理由の根本だろう。
(懸賞に関係者が応募して当選する、というのもやらせではないが同じ性質の不正にあたる。)


今回の場合、九電は番組制作上の権限は何ももっておらず、他の「一般市民」と基本的に同じ立場にあったように思われる。だとするとこの件は、たまたま一部のネットの掲示板で祭りあげられてメールが殺到しちゃうような事態と根本的にはなんの違いもない。

こういうのを「やらせ」と言って糾弾しちゃうのって、ネット上でひとり何回でも投票できる投票フォームを設置しておきながら、祭りで大量投票が入ったら「不正クリックされた」とか言っちゃうのと似てる

一番気持ち悪いのは、こういう報道のもっていき方だ。

「民意がねじ曲げられた」。国主催による6月の県民説明番組で、メールの賛否を覆すほど大量の「賛意」を送りつけていた九州電力。
九電やらせメール:「民意がねじ曲げられた」と怒りの声 - 毎日jp )

番組に寄せられた投稿は賛成が286件、反対が163件。やらせの分を差し引くと賛否が逆転していた計算だ。
(
「やらせメール」認めたが…九電元副社長“逆ギレ” ― スポニチ Sponichi Annex 社会

メールの賛成意見の数と反対意見の数で民意をはかる、などというナイーブな番組作りをしている方がどう考えても悪いだろう。選定に関わっていた佐賀市内の広告代理店とやらはいったいどんなお仕事をしてたんだ?

この点を棚上げにするのは、報道側に、ネット時代に本当に「一般から自由な意見を募集」したらどんなことになるか、そのリスクを管理する自信やノウハウがないからではないか? だから問題を番組制作側ではなく意見を応募する側に押し付けようとしているのではないか? と疑ってしまうのは深読みしすぎなんだろうか。