前回書いた顛末の中で、「ここは譲歩して、相手に貸しを作っておいたほうが長期的にメリットがある」という意見が出てきたので思い出したのですが、以前にSIなどの下請けをやってる小さな会社で働いていたときも、そこの社長が同じような言い方をよくしていました。

まあよく聞くセリフですよね。

言ってる本人も薄々気づいているとは思うのですが、念のため明言しておきたいと思います。その「貸し」が返ってくることはまずありません。

ちなみに、力関係の上下は関係ありません。
もちろん相手が力関係で上の場合、こちらが一方的に「貸しを作った」気になっていても相手からしてみたら眼中にすらなかった、ということがままあるのですが、相手の方が下の場合でも同様に「貸したはずの恩が返ってこない」「なんて恩知らずな奴なんだあいつは」という事態は頻発するはずです。



すこし話がとびますが、エニアグラムってのが昔ちょっと流行りました。スピリチュアルなキーワードとか黒魔術っぽい図形とかがつきまとって微妙な胡散臭さは否めないものの、僕はあれにはけっこう重要なポイントが含まれていると思っています。


エニアグラム?あなたを知る9つのタイプ 基礎編 (海外シリーズ)


エニアグラムの重要な概念のひとつは「人はみな同じような快・不快の軸をもっているけれど、それらに対する重み付けはそれぞれ違っている。一番価値をおいているもの、どうしても譲れないもの、が人によってはっきり違う」ということです。

その前提に立ってみると、「自分だったらどう感じるか、人の立場にたって考えてみる」という一見立派に見える態度が、実は非常におこがましい自己中心的なものの見方であることが分かってきます。

同じ状況に置かれても、人によってなにを行動の規範とするか、なにをされたらもっとも不快か、が全く違ってくるため、例えばある人にとっては五分と五分の譲歩にみえたものが別の人からみると一対九だったり、「肉を切らせて骨を断つ」の肉と骨が人によって真逆に見えていたりするのです。


エニアグラムでは、その価値観の軸を九種類に絞り、どの軸にもっともこだわりをもっているかによって人を九つの「タイプ」に分類するようです。
本当にその九種類で必要十分なのかどうかはよく分かりませんが、最初にエニアグラムの本を読んだ時、そのうちの「タイプ1」の項にあまりにもピンポイントで自分のことが書かれていたのでつい笑ってしまいました。

たぶん僕は典型的なタイプ1です。完全主義で、正しさを何よりも優先する、改革者とも呼ばれるタイプです。先に出てきた以前の職場での社長は、対人関係や、相手に必要とされることを重視するタイプ2あたりの人だったんじゃないかと思います。

その社長は、僕が職人としてものすごく価値をおいているものを、あっさりと交渉の一材料として譲ってきてしまうことがしばしばありました。
一方、その社長からみれば、自分がこんなに苦労して便宜を図ってやってるのに感謝の一言も無いばかりか、細かいただ一点にこだわって文句ばかり言う僕が全く理解できなかったことでしょう。

僕がこだわっていたことというのは、例えば

・「○○文書_20090101.xls」みたいなファイル名を禁止してバージョン管理システムを導入することだったり、
・「納品物であること」以外に全く存在意義を失っていたエクセルのドキュメントを廃止することだったり、
・元請けの政治的な事情で開発言語やデータベースのベンダーが急に変更になるのを拒否することだったり、

...なのですが、僕がそういった「正しさ」を持ち出すたびに、社長や営業部隊(と、僕自身) は元請けや孫請けとの間のさまざまな調整に走らなければなりませんでした。

僕にとってはそれらの手間は「正しいことをするための崇高な犠牲」であって、苦痛は全くなかったのですが、社長は僕とはまったく違った捉え方をしていたようでした。
社長は、その改革につき合ってもらうたびに関係他社にひとつ借りを作らなければならず、また、それを社の方針として受け入れるたびに僕にひとつ貸しを作ったと感じていたようです。

「ここで彼のわがままをひとつ聞いておけば、次回、大手元請けからの理不尽な要求を呑まないといけなくなったときに今度は彼が譲歩してくれるだろう...」

そう考えていた(であろう)社長の思惑は、当然のことながら、早晩裏切られることとなります。

それどころか、僕からは「以前はきちんと主張すべきことは主張したのに、今回は黙って言うなりになるんですか。へー。筋が通ってないっていうか態度ブレすぎですね」などと批判までされ、恩を仇で返されるとはまさにこのことだ! という気持でいっぱいだったのではないかと思われます。

しかし残念ながら僕の行動原理は「前回俺のターンだったから今回はお前ね」ではなく、「正しいやり方はどれか」なのです。僕の方が(俺基準でw) 正しければ、何度でも相手の方が折れるのが当たり前で、そのことで僕が借りを作るという発想は全く無いのです。



結局、あなたが「貸しを作った」つもりでも、それをその通りに捉えてくれるのはあなたと同じタイプの相手だけです。
九つのタイプの人間が均等に分布しているのだとすれば、九人中八人まではあなたが売ったはずの恩を恩とは考えていないでしょう。もしかすると、相手も同様にあなたに恩を売ったつもりでいるかもしれません。

たいていの場合、あなたが作ったはずの貸しは、実は相手にとってはあなたが思っているほどの価値はないものです。まずそもそも、相手は「貸し借り」を行動の基準にはしていないかもしれません。