アメリカで生活して、もっと異国のエキゾチズムを感じるのは、軍の存在感に関してだ。

日常の中に「軍」という存在が当たり前にある感覚。「軍」という言葉が、まるで「おまわりさんのパワーアップした版」のような畏敬と日常性を伴って発せられるのって、日本の感覚からするとまるでSFの世界の中に入り込んだみたい。

こちらに来たばかりの時にも似たようなことを書いた→ http://nabokov.blog.jp/archives/1519616.html

飛行機に乗るときにも兵士が優先的に案内される。物乞いがなにかと傷痍軍人アピールをする。ちょっとした公的な書類にはたいてい兵歴の有無を書く欄がある。国の祝日10日のうち、兵士に感謝する日が2回もある。(veterans day と memorial day と二種類ある意図がわからないんだけど、どうやら片方は戦死者だけが対象なのに対して、もう片方は退役軍人も含むということのようだ。)



そしてテレビでほとんど毎日のように見かけるのが「兵士のサプライズ帰宅」もの。子供が大きなプレゼントの箱を開けると中から出て来たのは...なーんとイラクに行っていたはずのお父さんです!子供大喜び!お母さん大泣き!なんて素敵なサプライズでしょう!

こんなやつね → https://www.youtube.com/watch?v=gnEnhmrOHwk

…このワンパターン、飽きないのかな。日本だったら軍人が子供と画面に一緒に映ってるだけで抗議の電話が鳴り止まなくなりそうだけど、こっちでは鉄板のイイ話っぽい。

イギリスのモンティパイソン的な感覚だと、これだけ定番化してれば不謹慎なパロディも沢山でてきそうなんだけど、こっちの人はそういうのへの耐性はどうなんだろう。
ニュースの最後に、それでは今月の戦死者ですっていって若者の写真と厳かな音楽が流れたりもする中、茶化すのはなかなかハードル高い気はするけど。



この「軍」と日常との距離感、そして「家族」とか「銃」とかいったアメリカ的なるもの、は、どこかで深くつながっているように思える。
なんだろ。お父さんが真剣な面持ちで銃を手に出て行って、家や国を守るような、DIYで、マッチョな価値観。

「内」と「外」がはっきりと分かれてる感じがするんだよね。いや、日本も「内」と「外」はあるんだけど、日本的感覚だと「外」はなんとなく避けたり、異化したり、なかったことにしたりするのに対して、こっちは「外敵」と「守るべき仲間」との境界がくっきりしているような。

フロンティア精神とかにまで結びつけちゃうのは考え過ぎなのかなぁ。軍人が尊敬されてるのは別にアメリカだけじゃないしな。でもヨーロッパではここまでウェットな距離感じゃなかった気がするし、途上国や共産圏だともっと威圧的で、親近感とはちょっと違いそうだし。

こんなのあった: 日本以外の国では軍人が尊敬される職業とは本当か

特に結論はありません。